スト6 備忘録

ACT8で2200MRを達成。体調の都合で最終日はあまりランクを回せず最終レジェンドには入れなかった(2200ちょいフィニッシュ)。

 

ACT9期間はスト6放置ぎみだった。鉄拳をつまんだり、ナイトレインで夜を渡ったり、シャドバビヨンドでデジタルの紙をしばいたりして過ごしていた。最後の数週間に謎にサガットを味見した後豪鬼をリハビリして終了(最終2100ちょい)。

 

今ACTはモチベ高めで回しているがレジェンド維持は厳しいラインにいて、試行錯誤している真っ最中。

 

 

直観と直感

最近、相手に技を重ねに行く瞬間とかにああ多分無敵技来るな~というような予感がはたらく場面が増え、かつその予感の強度が上がってきている。的中率もそうだし、言うてもここはセオリー重ねでしょと逆らった瞬間に無敵技をくらう印象が強い。単なるヤマカンではなく、試合を通して無意識化レベルで洞察がはたらき、直観として出力された結果なのかもしれない。

 

セオリーに逆らうオカルト寄りかもしれないが、最近は直観と直感に素直に従うよう心掛けるようになった。

 

その一方で、実は単に日和っているだけなのを「本能が危険を察知している→つまり無敵技が来る可能性が高い」と誤認してしまう悪いケースも感じ取れるようになってきた。最初は成功体験か失敗体験かで感じ方が分岐しているだけかもしれないと疑っていたが、この2つを注視しながらプレイを重ねていくにつれ、両者は明確に異なるものであるとの判断に落ち着いた。というのも後者が発生するのは、俺が対戦に向けたマインドを崩してしまっている状況に限定されている。起き攻めがどう工夫しても通らず、良いイメージを持てていないような時、相手には余裕がありそうだから/自分には余裕が無いからと弱気な選択に飛びついてしまう。悪感情の流れに逆らって泳ぐ能力の必要性が高まってきたので、漫画版スクライドを読み返して弱い自分への反逆意識を高めた。カウンターカルチャーは神話として解体されたが、こうした類の反骨精神には普遍性がある。

 

直観・直感はぶっちゃけただの勘寄りの要素ではないか、攻略として頼っていいのか?あくまで定石ベースで行動を選択したほうがいいのでは?という指摘も当然あると思う。自分の課題としては、今は定石厨すぎる受動的なプレイングを脱し、意志をもって能動的に己の行動を選択する方向にプレイングを寄せたい。スト6になってからプレイングの意識について細部を話すようになったせいか、俺の言語化能力を褒められる機会に恵まれることも増えてきたが、俺の中では言語化が一定の有益さを与えてくれる一方で、それだけですべてが解決されるわけではない意識がますます強くなっている。定石に殺される昆虫*1は少なくなく、俺もそのうちの一匹に違いない。

 

数年前、lighdarさんがカードゲームの言語化至上主義の脱却についてプロレベルの実例と共にテキストにまとめた内容をdiscordで発信してくれていて、非常にありがたかったのは今でも心の奥底に刻まれている(TCG世界のため、当然他の対戦ゲーと文脈が異なる点には留意している)。挙げられた実例の中には、元MTGプロプレイヤーの記事も含まれているので以下に紹介する。

 

note.com

 

 

言語化と本能は二項対立ではなく、それぞれを適切に使い分けることが肝要であり、両方のスキルツリーを伸ばすべき...という意識がいつしか薄れ、本能的な面から目を背けていた自分の現状に愕然としてしまったのがACT9終盤で、いまはこの点を大目標として励んでいる。このまま中途半端な弱者の立ち位置にいるのは嫌だし、何よりセオリー選択肢を適当に選ぶだけのランダムプレイ野郎のままではゲームが楽しみきれない!

 

と、いう考えを最近読み返した『対ありでした』が補強してくれた。感想は別のブログに書く。本作は『ウメハラファイティングゲーマーズ』よりもあばれ塾ファン向けかもしれない。

*1:バーチャファイター用語。同じシチュエーションで同じ行動や対応を反射的に繰り返してしまう性質を持つプレイヤーを指す