162 ハイパーボムここ最近の日記

相変わらずガンダム勢をやりつつ、ちょこちょこ鉄拳を触っている。アマキン良いキャラだねえ(勝てない)。

 

これまで触った格ゲーのランクマッチで一番面白いのは鉄拳7だと断言できる。常にヒリつくゲーム性と無限リベンジシステムの相性が良すぎる。段位の転落も一瞬だが、お互いリベンジマッチ連打状態になって読みあいが回転しだす感覚はなかなか味わえない。今の時代、野良で長時間同じ相手とバチバチできる機会は貴重だ。もちろん1先前提の早押しクイズ大会と化すことも珍しくはないのだけれど許容範囲.!

 

最近の格ゲーのランクマで採用されがちな2先はわからん殺し成分が濃い3D格ゲーと相性がよくない感触がある。何しろ虚無い体験を生みがちなので(知らんやつが悪いのは揺るがなくとも)。

 

鉄拳8のランクマがどうなるかわからないけれど、任意でもいいからリベンジシステムが残っていると嬉しい。7が中途半端な触れ方になってしまったのはかなり後悔しているので、8は自分のなかで最低限のラインに到達したい。

 

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格ゲー含めた対戦ゲーは野良一本でも遊べる、野良メインでいいだろくらいの認識だったが、最近間違っていたと思いなおした。

 

俺のような下手の横好きでも定期的に対戦ゲーに触れていればそれなりでも経験は積み重なるので、対戦ゲーでもたのしい部分上位にあたる”成長の実感”や”次の課題探し”も繰り返していく事になる。すると”今自分はこのレベルで、この課題を持ってこれくらいやりこんだら次のレベルにいけそうだ”みたいな予測が立てられるようになる。もちろんここで迷わずやりこんでそのゲームにのめりこむのが健全なゲーマーの姿なのだけれど、こういうパターンを複数のゲームで繰り返していると、やりこみだす前にまず俺はこのゲームにそこまで手間をかけるべきなのだろうか?みたいな自問が生まれがち。

時間が限られている社会人ゲーマーであることも多いに関係している。世の中には面白いものが沢山あるので...。

 

そうやって立ち止まって吟味しているとき、野良でのプレイに偏っているかどうか(特に継続的に対戦するような知り合いがいるかどうか)は重要な参考材料になる。野試合だけのゲーム体験ってある程度以上の面白さを超えてはいかない。経験的にそれを知っているからこそ、このタイトルをやり続ける意義は無い、と判断しがちになる。

 

身内とやったほうがいいなんてわかりきってるのになんで野良に偏ってしまっていたか振り返ると、対戦ゲーの思想を重荷にしまっているのが答えだと思う。”最高にアツい対戦は特に仲が良くない相手とのガチ試合でこそ経験できる”、だから対戦を最大熱量で楽しみたいあまり”人と必要以上に仲良くしたくない”的な...。

 

相手と仲良くなると対戦の純度が下がるって考えは変わってないけど、そもそも人とつながるチャンスを減らしていたら強い人と遊べる機会を失っていくだけ。捕らぬ狸の皮算用とはこのことか。

 

あまりモチベない対戦ゲーでも身内と遊ぶ機会がある間は続いてたなあ...とか過去を振り返りつつ、

 

・友達がいないと基本的に対戦ゲーは続かない

・友達がいないと対戦ゲーは強くならない(特に2先ランクマ的な短期の野試合を繰り返えすのは成長効率も悪い)

・特に面白いと感じた対戦ゲーでは、とにかく友達を増やすよう心がける

 

の精神を持って生きる。

 

鉄拳7を新規で始めたろわさんが他のdiscordの鉄拳サーバーのコミュニティに参入してフレンド増やしていく様子に感服したのは今でも記憶に新しい。

 

スト6や鉄拳8に狂えるかどうかはわからないが、あんまり刺激的な体験を薄口にしたくはないなということでひとつ。